1974年から75年にかけて起きた、連続企業爆破事件の重要指名手配犯として、49年間逃亡していた桐島聡容疑者。
桐島聡容疑者と見られる人物は『内田洋』という偽名で生活していたようで、逃亡中の暮らしが徐々に明らかになってきました。
このページでは、桐島聡容疑者と見られる人物が、『内田洋』として生活してきた約40年間について紹介していきます。
内田洋の行きつけのバーは藤沢市のどこ?
内田洋と名乗っていた人物は、15年以上にわたり神奈川県藤沢市内にあるバーに常連客として通っていたようです。
報道された内容から、内田洋と名乗っていた人物が通っていたバーの特徴をまとめてみました。
- 神奈川県藤沢市内にある
- 15年以上前からある
- 生演奏がある
- 店内にカウンターがある
Google上で藤沢市内にある生演奏のあるバーに限定して検索したところ6件のお店がヒット。
しかし、ヒットしたお店が、内田洋と名乗っていた人物が通っていたという証拠も見つからなかったため、残念ながら特定には至っていません。
内田洋の勤務先の工務店は藤沢市のどこ?
内田洋と名乗っていた人物は、入院前に神奈川県藤沢市南部の工務店で勤務していたことが明らかになっています。
神奈川県藤沢市南部の工務店を調べてみたところ、Google地図上で複数件確認できました。
その中に、報道された写真の外観と一致する工務店を発見しました。
場所は、内田洋と名乗っていた人物が入院していた『湘南鎌倉総合病院』から、5kmほど離れた場所にあります。
住み込みで働いていただけであり、事件とは無関係と思われるので、工務店の名前の公表は控えさせていただきます。
内田洋の自宅アパートの住所を特定!
内田洋と名乗っていた人物は、神奈川県藤沢市内の工務店に住み込みで働いていたことが明らかになっています。
一部の報道で、住んでいたアパートの画像が公開され、写真を頼りに航空写真から住所の特定に至りました。
〒251-0027
神奈川県藤沢市鵠沼桜が岡1丁目付近
家を訪ねた人物の証言でも、古びており「人が住んでいるような場所ではないと思った」というほど。
室内も座る場所がないほど散らかっており、ストーブは2台あったが生活感はなかったようです。
まとめ
今回は、桐島聡容疑者と見られる人物が、『内田洋』として生活してきた約40年間について調査してみました。
桐島聡容疑者と名乗っていた人物は1月25日に亡くなり、現時点では同一人物であるかは調査中となっています。
しかし、偽名の『内田洋』と名乗って生活していた約40年間は、潜伏とは程遠く、どこにでもいる普通の人と変わらない生活を送っていたことがわかりました。
捜査が進展し、内田洋と名乗っていた人物が、桐島聡容疑者と断定されれば、逃亡中の生活がより鮮明になってくるでしょう。
新たな報道があり次第、このサイトでも随時紹介していくつもりです。